2012年5月23日水曜日

会社人生は「評判」で決まる

以前よりお付き合いのあるコンサルタントの方が最近執筆された非常に刺激的なタイトルの本を読みました。通常の人事評価に加えて、組織内の「評判」がどのように会社内の人事に作用するのか、また「評判」を上げたり下げたりする要因はなんであるかなどが書かれており、非常に共感できる内容でした。

昨今、様々な意思決定において「評判」が重視されることが多くなってきています。電化製品などを買う際に必ず見るのがカカクコムが運営する価格.comです。その時点での提供価格を比較して最安値のショップを提示してくれるうえ、実際に購入、使用した感想や意見が投稿されているのでとても参考になります。また、レストランを探すとき、私が最も信頼をおいているのが、同じくカカクコムが運営する食べログです。このサイトで高評価かつ、投稿されているコメントから、私の好みと近しいと感じられれば、行ったことのないお店でもほぼ間違いありません。最近では、お店の名前や、電化製品の名前で検索をすると、そのお店やメーカーのホームページより上位に、クチコミサイトや個人のブログなどが表示されることからも、クチコミ=評判が重視されていることが分かります。これは、クチコミを読むことで、実際に使用したり、食事をしたりする疑似体験ができ、イメージを作ることができるからではないかと思います。

抜擢人事などを検討する際には、過去の人事評価の結果だけでなく、その人の上司、同僚、部下がそれぞれどのような見方をしているのかということを参考にすることがあります。スキルを高め、結果を出しているということはもちろん重要なのですが、やはりマネジメントに登用するような人であれば、直接人事評価には表れにくい、人格や人望といった要素も持ち合わせている必要があります。そうした要素が「評判」といったかたちで表れてきます。人事上の意思決定の際にも、事前に評判を確認することで、その人を登用した際の良い面、悪い面を事前にイメージすることができるということから、意思決定において重要な意味を持ちます。

評判というものは、故意に作ることができるものではありません。以前、まさに上記の食べログでやらせ投稿が問題になったことがありました。一時的にサイトの信頼性が懸念されましたが、私の中での信頼度は変わっていません。やはり、意図的に操作されたコメントはどこか不自然で、実体験に基づいたものではないことが伝わってくると思います。逆に実体験に基づく真の投稿は、非常に臨場感があり、共感できるものが多いものです。

本書では、評判の悪い人というのは、
  1. 自分の実力を誤認している、ある意味「自意識過剰なナルシスト」
  2. 自分はさておき他人のことをとやかく言う、いわゆる「評論家」
  3. 自分の立場を理解していない、勘違いの大きい「分不相応な人」
とあります。
逆に評判の良い人とは、
  1. 自分自身をよく分かっており「他社への十分な配慮のできる人」
  2. 「評論家」の逆で、労をいとわない「実行力の人」
  3. 自分の立場や役割を正しく理解し「本質的な役割の果たせる人」
評判の良い人の項目は、一見すると当たり前だなという感じを受けますが、どちらかというと評判の悪い人の項目には共感できるところがありませんか? 自分の周りの評判の悪い人というのは、必ず上記のどれかに当てはまっているのではないでしょうか。詳しくは本書をお読みいただきたいと思いますが、やはり組織での評判というのは、”自分”を理解し、”相手”を理解し、”組織”を理解するということのような気がします。その理解に欠けた、空気の読めない言動が評判に影響を及ぼすのでしょう。先にも言いましたが、評判は日々の自然な言動から生まれるもので、意図的に作り出すことはできません。ですから、他人の目ばかり気にして評判を上げようとするのは逆効果です。しっかりと自分を見つめ、正しい言動をしていれば、自ずと評判があがり、自分自身をサポートしてくれるはずです。

2012年5月14日月曜日

マナーの常識

先日「たけしのニッポンのミカタ」という番組を見ました。若者VS大人のマナーがテーマで、若者、大人双方が感じるマナー違反について意見交換をするというものでした。私くらいの年齢ですと、どちらの立場の意見にもうなずけるところがあり、中立的な立場で番組を見ていました。携帯電話、特にスマートフォンの普及に伴うマナーのありかたというのは、若者、大人ともに考えなくてはいけないのかなと感じました。番組内で非常に面白い映像が紹介されていたので紹介します。あるヴィオラ演奏会の途中で、携帯電話の着信音が鳴ってしまった時に、演奏者がとった行動です。この奏者は、自分の演奏を邪魔されたにも関わらず、即興で着信音を演奏してお返しするという粋な演出をしました。
しかし、ビジネスシーンでマナー違反があった場合、相手がいつもヴィオラ奏者のように粋で広い心の持ち主とも限りません。その場で咎めてくれる方であればまだましですが、何も言わずにその人や会社が、非常識のレッテルを張られてしまうことも考えられます。

ビジネスマナーというものは、会社の文化とも通じていると捉えられることもあり、会社でしっかりと教えておかなければ、その社員だけでなく会社のイメージにも大きな影響を与えます。一度身につけてしまえばクセになりますから、自然に振る舞うことができ難しいことではありませんが、逆に間違ったマナーがいつの間にか身についてしまうと、悪気なく永遠にマナー違反を繰り返すことにもなりかねません。

私は社会人になって初めてついた上司にずいぶん色々とマナーを教えていただきました。今までの社会人人生の中で自分のものとして身についていますので、今では私の中の常識になっています。しかし、常識になっているがゆえに、この常識から外れたシーンに遭遇すると大きな違和感を感じます。最近違和感を感じたマナー(マナー違反)をいくつか紹介します。

  • 目上の人に「ごくろうさま」と言うのは失礼である。(「お疲れ様」もしくは帰宅時には「失礼します」と言う)
  • エレベータでの別れ際では、ドアが完全に閉まるまで頭を下げている。
  • 相手の話は絶対に遮らない。特に相手から質問をされている途中で、その回答を話し始めない。
  • メールで何かを依頼されたら、了解したこと、対応の時期などをすぐに返信する。
  • 殿は目下の人に対して使用する、もしくは役職の後につける。役職の後に様をつけない。
  • 各位の後に殿や様をつけない。
そのレベル感はまちまちですが、私が当社に入社してから何度か当社社員による上記マナー違反が複数回見受けられました。特に、以前「役職名と敬称」でも書きましたが、不適切な敬称をつけて話したり、メールを送信したりするのは、非常に恥ずかしいことだと思いますので最低限身につけてほしいと思います。マナーとは、仕事ができるできない以前の問題です。いくら仕事ができても、マナーが身についていない人とは仕事はしたくないと仰る方も少なくありません。マナー違反を見かけたら、躊躇せずに指摘して正すようにしていきましょう。