これがあさひ愛最後のメッセージです。これまで全部で125回のメッセージを発信し、本日時点で5万ページビュー(閲覧された回数)を数えるに至りました。
はじめは私が日々感じたこと、経験したことなどを文章にして、社員の皆さんに伝えることで、私がどんな人物で、何を考え、何をしているのかを知ってもらおうと気軽な気持ちでスタートしました。社内向けのメッセージですが、せっかくなのでインターネット上で誰でも参照できる設定にしたところ、徐々にお客様や金融機関、また採用の面接に来た人など社外の方から、いつも読んでますよなどと声をかえられるようになりました。当社や私のことを気にしてもらってるんだと嬉しい反面、これはうかつなことは書けないし、きちんとした文章でなければ恥ずかしいなと感じるようになり、ブログとは言えないような更新頻度となってしまいました。
しかし、じっくり考えながら文章にしていくことで、頭の中が整理できましたし、何より文章力の訓練にもなりました。いま読み返してみると、その時、その時の起きたこと、感じたこと、メッセージにしようと思った背景などが鮮明に蘇ってきます。まさに、私の旭での歴史そのものでもあるわけです。
あさひ愛の原点
さて、最後に何を伝えようかと色々と考えましたが、やはり原点に戻って、「あさひ愛」について話をしたいと思います。
このブログのタイトルでもある「あさひ愛」ですが、これはブログを書き始めた当初、当社が、社員はもちろんのこと、その家族や、お客様、協力会社など、当社を取り巻くあらゆる人から愛されるような魅力的な会社にしたい。また、65年(ブログを書き始めたのは65年目の時でした)の歴史と伝統ある当社で仕事をしていることに、自信と誇りを持って欲しい。そんな思いをこめて作った言葉でした。そして、私がこの会社で見聞きし、感じたことをブログを通じて皆さんと共有することで、ひとりでも多くの人にあさひ愛を感じ、共感して欲しいと思いながら書き続けてきました。(あさひ愛 第1回記事)
この時、「あさひ愛」はこういう会社にしたいという私の中でのビジョンのような位置づけでしたが、当社での年月が経ち、特に事業再生を経験することで、今さら私が言うまでもなく、この会社はすでにあさひ愛に溢れていると感じるようになりました。
あさひは愛に満ち溢れている
当社が経営危機にあると認識した後、私はこの事実を社内外に比較的早い段階から説明するという判断をしました。この手のことは、関係者の動揺を防ぐために最後まで水面下で実行することが多いかと思います。しかし、私はその事実を知った時の動揺よりも、その事実を聞かされなかったことへの不信感の方がインパクトが大きい。また、会社を復活させるには社員に危機意識を持って本気になってもらわなければならない。という考えから、公表に踏み切りました。
不安もありましたが、関係者の皆さんのあさひ愛を信じて1社1社、ひとりひとりに説明をしていきました。すると、お客様は予算が少ない中で少しでも仕事を増やそうとしてくれましたし、資金繰りを助けるために支払い条件の改善にも応じてくれました。また、協力会社は逃げ出すどころが「あさひなら絶対に乗り越えられる。ダメなら心中だ」と最後まで当社を信じてついてきてくれました。そして、何より社員の皆さんが、死に物狂いで受注を増やし、利益率を上げ、入金・回収を早めて危機を乗り越えてくれました。
一区切りついたときには、みんなのことを信じてよかったと心から思いましたし、同時にこんなに多くの人たちに愛されている素晴らしい会社はないなと実感しました。やはり長く続く会社というのは、その会社のことを思い、思われ、愛に満ち溢れた会社なんだと思います。
あさひ愛を誇りに
あさひは、有名な大企業なわけではなく、高学歴ばかりが集まるエリート集団なわけでもない。
走り回るのは得意だけれど、儲けるのは下手。
口下手のくせに、しゃべりたがり。
酒好きばかりで、飲むとだらしない、絡む、ぶっ叩く。
でも、いいモノを作ることに情熱をかけていて、真面目で愚直。
お客様から頼まれれば夜中でもすぐにとんでいくし、どんなに困難な状況でも逃げずに最後まで仕事を終わらせる。
年配の職人さんが重たい材料を運んでいれば歩み寄って手伝ってあげるし、自社の利益よりも先に協力会社のことを心配する。
若手の悩みには朝まで耳を傾け、トラブル現場には頼まなくても人が集まる。
意見があれば上司だろうが役員だろうが社長だろうが納得するまでモノ申す。
でも、一度理解するとその方向にまっしぐら。
こういうひとつひとつがあさひ愛の源泉なんでしょうね。あさひ愛こそが当社の最大の魅力であり、強みであり、文化です。このことは、私たち自身が強く認識し、誇りに思うべきなんです。そして、永遠に後世にこの愛を受け継いでいってください。
あさひ愛は永遠です。
これまで9年間、経営も工事も素人同然の私についてきてくれて本当に有難うございました。
Dear ASINDO team members,
This is the last message for you as a president of Asahi Synchrotech.
Today I would like to tell you about Asahi-Ai, kind of love, soul or sympathy toward Asahi. I made this phrase with my thoughts to make this company filled with a lot of love from employees as well as family members, customers and suppliers, all around Asahi. This was supposed to be my vision at that time. But throughout my Asahi life especially my experience of business restructuring I fully realized that Asahi has been already surrounded by much of love.
When we were facing management crisis, customers tried to make orders as much as they could and speed up the payment for helping our cash flows. Suppliers never leave us and some of them said " We believe Asahi never die. If Asahi die we could die together." And YOU work hard to increase sales amount and profit rate, and tried for cash correction. I believed Asahi-Ai became the driving force for our revival.
I know that each of you, ASINDO members have same love, soul and sympathy which is called Asahi-Ai. No matter which county you live, what nationality you have and what language you speak. You are belong to One Asahi around the world and our Asahi-Ai is the most attractive feature, the strongest advantage and the great culture of Asahi Synchrotech. You should recognize and be proud of this. Then please tell this message to the future generations.
I was really excited to work with you in this emerging market Indonesia. You have many opportunities and bright future.
Thank you for working with me for 9 years and I am really proud of you.
With a lot of Asahi-Ai forever,
Shuhei